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岐阜家庭裁判所大垣支部 昭和52年(家)336号 審判 1979年5月22日

申立人 岐阜県○○児童相談所長

事件本人 A

主文

申立人が事件本人を教護院に入所させることを承認する。

理由

申立人の趣旨は主文と同旨であり、申立の実情の要旨は、次のとおりである。

1  事件本人は、昭和○年○月○日B(以下単に親権者という。)の第二子として出生したが、事件本人が生後三か月の頃、親権者が事件本人を置去りにして家出したため、それ以降親権者の母(祖母)Cに養育されていたが、昭和四八年九月に祖母死亡後は、親権者の実弟で現在の保護者であるD(以下単に保護者という。)に養育されている。なお、事件本人の父親Eは現在所在不明である。

2(1)  事件本人は、昭和四八年一〇月に大垣市立a保育園に仮入園して以来、教室から出歩く、友達の物を取り上げる、喧嘩をする、集団行動に馴れない等の問題がみられ、同月一二日には大垣市福祉事務所長からの通告により、岐阜県○○児童相談所(以下単に児童相談所という。)で情緒障害児として指導を継続してきたものである。

(2)  事件本人の問題行動は、昭和五二年四月に大垣市立b小学校に入学以降もますますエスカレートし、小学校五、六年の大きな体格(身長一三〇センチメートル、体重三五、四キログラム、胸囲七一センチメートル)を持つ事件本人の乱暴行動に対し、同級生はただ怖れおののくばかりであり、転校や登校拒否を訴える児童もあらわれてきている。

(3)  学校側は、事件本人の指導のあり方につき保護者に対し何度も協力を求める一方、四月当初より、事件本人の学級には特別に副担任をつけて、きめ細かく指導するよう努めているところであるが、事件本人の乱暴行動はそうした教師の目の届かない所で発生することもあり、また乱暴行動に対して教師が注意を促しても、唾をかけたり悪口雑言を吐いたりして反抗的な態度をとるのみで、殆ど効果があがつていない。

(4)  こうした状態の中で、申立人宛に、昭和五二年七月一四日には大垣市教育長から、事件本人の問題行動は学校における指導の限界を超えており、適切な措置を講じてほしい旨の依頼があり、更に同年七月二一日には大垣警察署長から、事件本人を保護者に監護させることは不適当であり、施設収容のうえ指導することが望ましいとの通告があつた。

3(1)  教育長及び大垣警察署長からの通告に基づき、申立人は、昭和五二年七月二五日付書面で、保護者に対し事件本人同行のうえ来所を通知したが来所がなく、同年八月三日、○○児童相談所の児童福祉司F及び心理判定員Gが自宅訪問し、保護者と面接をした。

(2)  面接に当つての働きかけの趣旨は、(イ)事件本人の問題行動は、生後二~三か月頃の交通事故の後遺症による脳の器質的障害に原因すると考えられているところもあるので、脳波を含めて専門医の診を受けること、(ロ)その問題行動が脳の器質的障害に原因するものではないとしても、現状のままでは学校での不適応が強く、性格矯正等のために暫く児童福祉施設に入所させて指導を受けた方がよいこと、(ハ)その問題行動について学校側と十分話し合つて指導していくようにとの三点である。

(3)  こうした働きかけに対し、保護者は「教育委員会からの通告は、学校長や担任教師の偏見に基づくものであり、事件本人は家庭で言うことを大変よく聞く良い子であり、そんなに聞きわけのない子ではないこと、事件本人が病気か否かは毎日世話をしている自分が一番よく知つており、何も知らないお前たちがいらん口出しをするな。」と突き放した態度に終始し、警察通告にあつた自転車盗についても「子供のことだから仕方がない。」と相談所職員の言葉には耳をかそうとしなかつた。保護者に対する働きかけは、その後も数回継続されたが、依然相談所の指導を受け入れようとしなかつた。

4(1)  親権者は、事件本人を生後三か月の頃から置き去りにしたまま行方不明になつていたものであるが、現在は事件本人の住む家から約五〇〇メートルほど離れた所に、内縁の夫H及び小学生の二女と共に居住しており、申立人においては、相談所への来所を求めたり、電話で事件本人の問題行動の実情を説明し、親権者として事件本人の施設入所を承諾するよう説得を重ねた。

(2)  しかし、親権者は、事件本人の問題行動については近所の人からも色々と聞いており、事件本人のためには施設で専門的な指導をして貰つた方がいいのではないかといいつつも、保護者には事件本人を長い間世話して貰つた義理があることや、夫が仕事の関係で留守にすることが多く、仮に承諾印を押せば留守中どんなことをされるか判らないことから、最終的には保護者の了解なしには承諾できないと述べている。

5(1)  保護者は、三〇歳になるまで殆ど定職らしい定職に就いたことがなく、現在も事件本人に対する生活保護費三一、六二〇円(月額)と児童扶養手当一九、五〇〇円(月額)、それに父Iからの若干の仕送りで生計を維持しているような状況である。

(2)  事件本人に対する右保護者の養育態度は「悪いやつらが一杯いる世の中で生きていくためには誰よりも強くなければならない。」ということで極めて厳格であり、教育的な配慮に欠け、些細なことでも叱責したり、場合によつては厳しく体罰を加えることもあり、事件本人はそうした保護者に対して恐怖を抱いている。

(3)  保護者は、学校に対しても理由のない偏見を抱き、事件本人が毎日のように遅刻していること、校長や担任の言うことなど何も聞かなくてもよいと事件本人に言つていること、乱暴行動に対して保護者として厳しく注意してほしいこと等の学校長や担任教師の再三、再四にわたる依頼に対しても殆ど協力しようとする態度を見せず、当相談所の指導に対しても前記三の如くただ反抗しているのみである。

6  一方、親権者の家庭に引取らせることについては、同女自身家庭の事情からこれを拒否しており、事件本人の性格上の問題を併せ考えると、極めて困難なことと考えられる。

7  以上の理由により、申立人は、人格形成の大切な過程にある事件本人をこのまま自宅におき、保護者に監護させることは、その福祉を著しく害するものであり、事件本人の将来のためには、児童福祉法四四条に規定する教護施設に入所させることが必要であると判断したが、親権者の同意が得られず、また保護者が施設入所につき強く反対しているため同法二八条一項二号但書に基づき、同法二七条一項三号の措置をとることの承認を求める。

(当裁判所の判断)

1  本件に関する一件記録及び家庭裁判所調査官J、同Kの各調査報告書並びに事件本人の親権者母Bに対する審問の結果(なお、保護者Dは当裁判所の審問期日の呼出に対し出頭しない。)を総合すると、申立の実情に沿う事実が肯認できるほか、次の事実を認めることができる。

(1)  親権者母B(昭和○年○月○日生)は、当時内縁関係にあつたEとの間に、昭和○年○月○日にL(事件本人の姉)を、同○年○月○日に事件本人Aをそれぞれ出産した。しかしBは酒乱で素行の納まらないEから逃れる意味もあつて、昭和四五年一〇月頃、事件本人をBの実弟であるD(昭和○年○月○日生-以下保護者という。)と母C(大正○年○月○日生)に預けたまま、Lを連れて、現在の内縁の夫H昭和○年○月○日生)と同棲するに至り、昭和○年○月○日にHとの間にMをもうけた。その後Bは、昭和四六年九月から同四九年一一月頃まで、心臓病手術等のため○○○大学附属病院へ入院したりしていたため、事件本人は、前記Cが昭和四八年九月二〇日に死亡するまでは、Cと保護者が面倒を見てきており、それ以降は、保護者が肩書住居において一人で事件本人を養育して現在に至つている。

親権者Bは、現在も、事件本人やDとは同じ町内でHと同棲し、前記L、Mの二女を養育しているが、事件本人も時々、親権者方に遊びにきていること、親権者としては事件本人を引取ることも考えているが、保護者において「Aは自分の子だ、誰にも渡さん。」と主張しているのでどうにもならず、また、親権者が、「そういうのなら正式にAと養子縁組をしてはどうか。」というと、「それは困る、そんなことしたら生活保護手当が止つてしまう。」と反対していること。

(2)  保護者は、現在まで独身であり、これまで牛乳配達、新聞配達、パチンコ店アルバイトをしながら、事件本人の生活保護費(現在は月額四〇、六二〇円)と児童扶養手当(現在は月額二一、五〇〇円)によつて事件本人を養育しているが、これも親族会議の結果、保護者が事件本人を養育することにきまつた事情もあつて、事件本人に対しては親同様の気持でいること、なお、保護者の父親は健在であるが、保護者と意見が合わず現在Dの弟Nの所に身を寄せており、叔父や叔母もいるものの、事件本人のことではDと対立した状態になつていること。

(3)  事件本人は、申立の実情にあるごとく、保育園や大垣市立b小学校で衝動的に行動することが多いうえ、暴力を振うなどの粗暴な行動が改まらず、昭和五二年四月小学校入学以後も他の児童に加えた傷害は一再ならず、学校関係者は、学習の秩序や児童の安全を保持しがたく甚だ困惑していたこと。しかも、事件本人については、昭和四八年一〇月頃から○○児童相談所において継続指導してきたが、事件本人の指導については保護者Dの協力が得られないばかりか、学校内における問題行動も発展して、学校側の指導にも限界が見られるようになつたこと。

(4)  一方、事件本人は、昭和五二年七月頃から全然登校しなくなつたので、学校側は、保護者に登校方を促がすに至つたがこれに応じない理由として、保護者は「校長が変つたら登校させる。」というのみであつたので、昭和五四年四月の始業式前に、b小学校校長(前校長は転任)が事件本人宅を訪問し登校するようすすめたが、事件本人はその後も登校しないで家庭で遊んでいること。

(5)  親権者も、近隣の人から事件本人の問題行動について苦情を聞いており、かつ事件本人の学習空白状態や行動態度等が、学校教育の限界を超えている状況を知つて苦慮しており、事件本人の施設収容にも反対はしておらず、親権者の内縁の夫も同様の意向であること。

(6)  保護者は、児童相談所員や家庭裁判所調査官が事件本人の心身の発達や福祉面を考慮して、施設収容の承諾を説得しても、かたくなにこれを拒みつづけて現在に至つていること。

2  前記の事実を併せ考えると、保護者は学校側の教育方針や児童相談所の指導助言に対して偏見を抱いて反発し、事件本人を盲目的にかばうだけで、相当期間にわたつて登校もさせず家庭で遊ばせており、現在に至るもその監護態度を改めるきざしが見受けられない。従つてこのままでは事件本人が重要な心身発達の段階にありながら、義務教育や集団生活を受ける機会を失い、福祉上重大な結果を生ずることは明らかである。

3  以上の次第で、事件本人を引き続き保護者に監護養育させることはその性行にもかんがみ、事件本人の福祉を著しく害するものといえるので、申立人が事件本人を教護院に入所させる措置をとることはやむを得ないものと認められ、保護者がこれに同意しないので、児童福祉法二八条一項二号但書、二七条一項三号によりその承認をするのが相当である。

よつて、主文のとおり決定する。

(家事審判官 大山貞雄)

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